数年前警察官である知り合いが首に新しいお守りをしていたので聞いたことがある。彼は「弾よけ」のお守りだと言った。値段も防弾チョッキが買える値段だった。彼はアメリカにも留学しているし政府の派遣でいろいろ海外にも行ったことがあるエリート役人の一人だ。彼はタイの男性が生涯に1度はならなければならない(日本人だけがそう思っているのかもしれないが...)お坊さんにもなったことがない。彼自身に取って余り意味のないことのようだ。
彼が言うにはこのお守りがあれば弾はよけて行くのだそうだ。まじめな顔をしながら言われたとき日本人の私は少し驚いた。
またチェンマイに行ったとき拳に刺青をしているタイ人にその意味を尋ねたことがある。彼は「象」だと言った。この拳で殴ると相手は1発でのびてしまうのだそうだ。どこかのお坊さんに彫ってもらったと言っていた。
この手の非科学的な話は日本人として茶化さずにはおれなかった。
「あるとき新聞に載っていたが、偉いお坊さんが彫った刺青を体中したタイ人が友人にピストルを渡して撃ってみろと言ったそうだ。その友人が撃ったら彼は死んでしまった。知っているかい?」
「その話は知っているが彼は真の仏教徒では無かったんだ。真の仏教徒であれば弾は当たらない。」
タイでは教養のある人間も”お守りの力”を信じきっているようだ。
同じような話を外国人が自分の本で体験談を書いていた。
あるオーストラリア人が霊験あらたかな「お守り」をしていたタイ人が撃ち殺されたとき「ほら見ろ全く効き目ないじゃないか!」とタイ人に聞いた。
「新聞の写真を見なかったのか。彼は悪い人間だったから確かに死んだが、血は一滴も流れていなかったんだよ。」
今の日本人は目に見えないもの、確かめられないものを信じ無くなってしまった。有名な評論家小林秀雄は昔の人はそのような超自然的なものを信じて畏敬の念を持っていたと言っている。そして実際そのようなものがあると言っている。
タイ人は日本人の無くしてしまったものをまだ持っているのかもしれない。
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